重要無形文化財の保持者として陶芸の分野で評価されている作者作品は、伝統工芸品として評価できやすいものになります。
作家名と保持者の認定
作家名 | 認定保持作品 |
---|---|
荒川豊蔵 | 志野瀬戸黒 |
石黒宗麿 | 鉄釉陶器 |
伊勢崎淳 | 備前焼 |
伊藤赤水(五代) | 無名異焼 |
井上萬二 | 白磁 |
今泉今右衛門(十三代) | 色絵磁器 |
今泉今右衛門(十四代) | 色絵磁器 |
加藤孝造 | 瀬戸黒 |
加藤卓男 | 三彩 |
加藤土師萌 | 色絵磁器 |
金重陶陽 | 備前焼 |
金城次郎 | 琉球陶器 |
近藤悠三 | 染付 |
酒井田柿右衛門(十四代) | 色絵磁器 |
清水卯一 | 鉄釉陶器 |
島岡達三 | 民芸陶器 |
鈴木藏 | 志野 |
田村耕一 | 鉄絵 |
塚本快示 | 白磁・青白磁 |
德田八十吉(三代) | 彩釉磁器 |
富本憲吉 | 色絵磁器 |
中里無庵 | 唐津焼 |
中島宏 | 青磁 |
浜田庄司 | 民芸漆器 |
原清 | 鉄釉陶器 |
福島善三 | 小石原焼 |
藤本能道 | 色絵磁器 |
藤原啓 | 備前焼 |
藤原雄 | 備前焼 |
富本憲吉 | 色絵磁器 |
前田昭博 | 白磁 |
松井康成 | 練上手 |
三浦小平二 | 青磁 |
三輪休和(十代) | 萩焼 |
三輪壽雪(十一代) | 萩焼 |
山田常山 | 常滑焼(急須系) |
山本陶秀 | 備前焼 |
吉田美統 | 釉裏金彩 |
千家十職と職家
歴代の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)による御好道具は、伝統技能を継承してきた千家十職(せんけじっそく)と呼ばれる職家によって作製されてきました。千家好みの茶道具は、茶人たちに重宝されています。
楽家:茶碗師(陶工)
楽家代々の襲名は、楽吉左衛門であり、印判は各代ごとに使い分けられているようです。当主が隠居すると入道号で呼ばれることがあります。楽焼の製法を伝承しながら、数々の名器を制作されています。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
元祖 | 阿米也 | 不詳不明 |
初代 | 長次郎 | 天正十七年(1589)不詳 |
二代 | 常慶 | 寛永十二年(1635)75歳 |
三代 | 道入 | 明暦二年(1656)58歳 |
四代 | 一入 | 元禄九年(1696)57歳 |
五代 | 宗入 | 享保元年(1716)53歳 |
六代 | 左入 | 元文四年(1739)55歳 |
七代 | 長入 | 明和七年(1770)56歳 |
八代 | 得入 | 安永三年(1774)30歳 |
九代 | 了入 | 天保五年(1834)79歳 |
十代 | 旦入 | 安政元年(1854)60歳 |
十一代 | 慶入 | 明治三十五年(1902)86歳 |
十二代 | 弘入 | 昭和七年(1932)76歳 |
十三代 | 惺入 | 昭和十九年(1944)58歳 |
十四代 | 覚入 | 昭和五十五年(1980)63歳 |
十五代 | 吉左衛門 | 昭和24年(1949)~ |
永楽家:土風炉・焼物師
十一代目の保全が、紀伊国紀州藩・第十代藩主の徳川治宝候に招かれて、「河賓支流(かひんしりゅう)」の金印と「永楽」の銀印を賜りました。京焼の家元として伝世品の写しや茶陶、土風炉などを制作しているようです。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 西村宗禅 | 永禄元年(1558)不詳 |
二代 | 西村宗善 | 文禄三年(1594)不詳 |
三代 | 西村宗全 | 元和九年(1623)不詳 |
四代 | 西村宗雲 | 承応二年(1653)不詳 |
五代 | 西村宗筌 | 元禄十年(1697)不詳 |
六代 | 西村宗貞 | 寛保元年(1741)不詳 |
七代 | 西村宗順 | 延享元年(1744)不詳 |
八代 | 西村宗圓 | 明和六年(1769)不詳 |
九代 | 西村宗巌 | 安永八年(1779)不詳 |
十代 | 永楽了全 | 天保十二年(1841)72歳 |
十一代 | 永楽保全 | 嘉永七年(1854)60歳 |
十二代 | 永楽和全 | 明治二十九年(1896)74歳 |
十三代 | 永楽回全 | 明治九年(1876)42歳 |
西山曲全 | 明治十六年(1883)65歳 | |
十四代 | 永楽得全 | 明治四十二年(1909)57歳 |
永楽妙全 | 昭和二年(1927)76歳 | |
十五代 | 永楽正全 | 昭和七年(1932)53歳 |
十六代 | 永楽即全 | 平成十年(1998)80歳 |
十七代 | 永楽善五郎 | 昭和19年(1944)~ |
中村家:塗師
漆芸の技を代々伝えている職家であることから、抹茶を入れる木製の蓋物容器である棗(なつめ)や茶室で使用する香を入れておくための香合(こうごう)などを作製しております。中村家では、塗師を世襲するときに宗哲を代々襲名されています。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 中村宗哲公弼 | 元禄八年(1695)79歳 |
二代 | 中村宗哲汲斎 | 宝永三年(1706)36歳 |
三代 | 中村宗哲彭祖 | 安永五年(1776)77歳 |
四代 | 中村宗哲深斎 | 寛政三年(1791)64歳 |
五代 | 中村宗哲豹斎 | 文化八年(1811)48歳 |
六代 | 中村宗哲楪斎 | 天保十年(1839)46歳 |
七代 | 中村宗哲獏斎 | 弘化三年(1846)49歳 |
八代 | 中村宗哲到斎 | 明治十七年(1884)57歳 |
九代 | 中村宗哲英斎 | 明治四十四年(1911)56歳 |
十代 | 中村宗哲真子 | 大正十五年(1926)65歳 |
十一代 | 中村宗哲元斎 | 平成五年(1993)95歳 |
十二代 | 中村宗哲弘子 | 平成十七年(2005)73歳 |
十三代 | 中村宗哲公美 | 昭和四十年(1965)~ |
西山曲全 | 明治十六年(1883)65歳 | |
十四代 | 永楽得全 | 明治四十二年(1909)57歳 |
永楽妙全 | 昭和二年(1927)76歳 | |
十五代 | 永楽正全 | 昭和七年(1932)53歳 |
十六代 | 永楽即全 | 平成十年(1998)80歳 |
十七代 | 永楽善五郎 | 昭和19年(1944)~ |
飛来家:一閑張細工師
漆芸の細工として、抹茶を入れる棗などの容器の表面に紙張りをして、素地に漆を塗りつける一閑塗の技法を、初代の飛来一閑が中国から伝えられました。その技法を伝承している職家として、飛来一閑を代々襲名しておられます。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 飛来一閑 | 明暦三年(1657)80歳 |
二代 | 飛来一閑 | 天和三年(1683)不詳 |
三代 | 飛来一閑 | 正徳五年(1715)不詳 |
四代 | 飛来一閑 | 享保十八年(1733)不詳 |
五代 | 飛来一閑 | 寛保元年(1741)不詳 |
六代 | 飛来一閑 | 延享三年(1746)不詳 |
七代 | 飛来一閑 | 寛延三年(1750)不詳 |
八代 | 飛来一閑 | 宝暦三年(1753)不詳 |
九代 | 飛来一閑 | 天明八年(1788)不詳 |
十代 | 飛来一閑 | 文政十三年(1830)60歳 |
十一代 | 飛来一閑 | 明治五年(1872)82歳 |
十二代 | 飛来一閑 | 明治三十年(1897)76歳 |
十三代 | 飛来一閑 | 大正二年(1913)55歳 |
十四代 | 飛来一閑 | 昭和五十二年(1977)84歳 |
十五代 | 飛来一閑 | 昭和五十六年(1981)56歳 |
十六代 | 飛来一閑 | 昭和三十八年(1963)~ |
大西家:釜師
京都の三条釜座において座人になった初代の浄林は、京釜師として茶釜の伝統技能を後世に伝承してきました。大西家の技術や伝統を継承する当代は、清右衛門を襲名しているようです。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 浄林 | 寛文三年(1663)74歳 |
二代 | 浄清 | 天和二年(1682)88歳 |
三代 | 浄玄 | 貞享元年(1684)55歳 |
四代 | 浄頓 | 元禄十三年(1700)55歳 |
五代 | 浄入 | 正徳六年(1716)69歳 |
六代 | 浄元 | 宝暦十二年(1762)73歳 |
七代 | 浄玄 | 天明三年(1783)63歳 |
八代 | 浄本 | 天明五年(1785)38歳 |
九代 | 浄元 | 文化八年(1811)63歳 |
十代 | 浄雪 | 嘉永五年(1852)76歳 |
十一代 | 浄寿 | 明治八年(1875)68歳 |
十二代 | 浄典 | 明治二年(1869)29歳 |
十三代 | 浄長 | 昭和十八年(1943)78歳 |
十四代 | 浄中 | 昭和三十五年(1960)73歳 |
十五代 | 浄心 | 平成十四年(2002)77歳 |
十六代 | 清右衛門 | 昭和三十六年(1961)~ |
中川家:金物師
初代の紹益は、千宗易から茶道具の依頼を受けてから、おもに金工類の道具制作に傾注されました。金物師の職家として、代々浄益を襲名されており、槌物と鋳物などの金工技巧を継承されています。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 紹益 | 元和八年(1622)64歳 |
二代 | 浄益 | 寛文十年(1670)78歳 |
三代 | 浄益 | 享保三年(1718)73歳 |
四代 | 浄益 | 宝暦十一年(1761)百余歳 |
五代 | 浄益 | 寛政三年(1791)68歳 |
六代 | 浄益 | 天保四年(1833)68歳 |
七代 | 浄益 | 安政六年(1859)64歳 |
八代 | 浄益 | 明治十年(1877)48歳 |
九代 | 浄益 | 明治四十四年(1911)63歳 |
十代 | 浄益 | 昭和十五年(1940)61歳 |
十一代 | 浄益 | 平成二十年(2008)88歳 |
黒田家:竹細工・柄杓師
黒田家では、代々正玄を襲名することで、柄杓を中心とした細工を制作されてきましたが、そのほかにも、茶の湯の席で欠かせない、花入や茶杓、籠炭斗などの竹を素材にした道具を多く生み出しておられます。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 正玄 | 承応二年(1653)76歳 |
二代 | 正玄 | 貞享四年(1687)62歳 |
三代 | 正玄 | 享保二年(1717)62歳 |
四代 | 正玄 | 享保十六年(1731)40歳 |
五代 | 正玄 | 安永七年(1778)71歳 |
六代 | 正玄 | 文化十一年(1814)68歳 |
七代 | 正玄 | 文政二年(1819)52歳 |
八代 | 正玄 | 明治二年(1869)61歳 |
九代 | 正玄 | 安政六年(1859)23歳 |
十代 | 正玄 | 明治三十三年(1900)76歳 |
十一代 | 正玄 | 明治四十四年(1911)43歳 |
十二代 | 正玄 | 昭和四十八年(1973)94歳 |
十三代 | 正玄 | 平成二十九年(2017)81歳 |
十四代 | 正玄 | 昭和四十二年(1967)~ |
駒沢家:指物師
駒沢家では、代々、木材を組み合わせて、素材の性質を活かした気品のある道具を制作されています。茶道具は、おもに棗、香合、蓋置、菓子器、棚などを作り上げており、四代目の技巧が優れていたことから、千家の茶方指物師として、活躍されることになります。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 宗源 | 不詳 |
二代 | 宗慶 | 元禄六年(1693)66歳 |
三代 | 長慶 | 貞享三年(1686)不詳 |
四代 | 利斎 | 延享三年(1746)74歳 |
五代 | 利斎 | 宝暦十四年()58歳 |
六代 | 利斎 | 享和三年(1803)65歳 |
七代 | 利斎 | 安政二年(1855)86歳 |
八代 | 利斎 | 弘化三年(1846)51歳 |
九代 | 利斎 | 文久二年(1862)44歳 |
十代 | 利斎 | 慶応二年(1866)26歳 |
十一代 | 利斎 | 明治三十五年(1902)51歳 |
十二代 | 利斎 | 明治二十九年(1896)21歳 |
十三代 | 利斎 | 昭和二十七年(1952)70歳 |
十四代 | 利斎 | 昭和五十二年(1977)69歳 |
十五代 | 吉田博三 |
奥村家:表具師
奥村家では、御家元の揮毫されたものなどを、茶室の掛物にするため装飾を施して、仕立て上げることを生業にしておられます。このほかにも、風炉先屏風や紙釜敷、折据などの紙全般の道具を制作されています。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 友湖 | 明和二年(1765)77歳 |
二代 | 半四郎 | 宝暦七年(1757)26歳 |
三代 | 半四郎 | 天明四年(1784)38歳 |
四代 | 鶴寿院貞松 | 享和元年(1801)82歳 |
五代 | 半四郎 | 文政八年(1825)47歳 |
六代 | 半四郎 | 明治十六年(1883)82歳 |
七代 | 半四郎 | 明治四十四年(1911)76歳 |
八代 | 半四郎 | 明治四十四年(1911)50歳 |
九代 | 半四郎 | 大正三年(1914)22歳 |
十代 | 浄雪院妙要 | 昭和十五年(1940)81歳 |
十一代 | 半四郎 | 昭和四十年(1965)63歳 |
十二代 | 友湖 | 昭和十四年(1939)~ |
各流派の歴代宗匠
その筋の目利きである宗匠が、あらたに茶道具に書付して、銘と花押が記されている全般のものは、評価額が付けやすくなります。
茶事や茶会では、そのときの趣旨によって御道具をつかいわけることがありますので、その日の中心になるように格式のあるものを亭主が選んでおもてなしをすることがあるようです。そのため格式が重く時代が深い選りすぐりの茶道具が、選定されるようですが、やはり、そのなかでも点前に向いている茶道具が好まれているようです。茶事の席では、おいしくお茶を飲むことができる茶碗で、客人が心地よく感じることのできる亭主のおもてなしが重視されているようです。この点前で茶人たちは、各地の国焼窯や中国製の唐物などを、御好道具として愛用してきたようです。そのため、各流派の宗匠による極め書きのある御道具は、貴重なものになるようです。
表千家:不審庵(ふしんあん)
千元伯の三男にあたる江岑宗左は、元伯宗旦の家督を継承したことから、表千家を創建されました。四代目の江岑宗左は、紀州徳川家の徳川頼宣に出仕してから、表千家は、紀州の茶頭となり、代々家元は、「宗左」を襲名しておられます。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 千利休/抛筌斎、宗易 | 天正十九年(1591)70歳 |
二代 | 千小庵、宗淳 | 慶長十九年(1614)69歳 |
三代 | 千元伯/咄々斎、宗旦 | 万治元年(1658)81歳 |
四代 | 逢源斎、江岑宗左 | 寛文十二年(1672)60歳 |
五代 | 随流斎、良休宗左 | 元禄四年(1691)42歳 |
六代 | 覚々斎、原叟宗左 | 享保十五年(1730)53歳 |
七代 | 如心斎、天然宗左 | 寛延四年(1751)47歳 |
八代 | 啐啄斎、件翁宗佐 | 文化五年(1808)65歳 |
九代 | 了々斎、曠叔宗佐 | 文政八年(1825)51歳 |
十代 | 吸江斎、祥翁宗佐 | 万延元年(1860)43歳 |
十一代 | 碌々斎、瑞翁宗佐 | 明治四十三年(1910)74歳 |
十二代 | 惺斎、敬翁宗佐 | 昭和十二年(1937)75歳 |
十三代 | 即中斎、無盡宗佐 | 昭和五十四年(1979)78歳 |
十四代 | 而妙斎、宗旦 | 昭和十三年(1938)~ |
十五代 | 猶有斎、宗左 | 昭和四十五年(1970)~ |
裏千家:今日庵(こんにちあん)
千元伯の四男として誕生した四代目仙叟宗室は、はじめ医学の道を志していましたが、親元の道統を継ぐことを決めてから、父が隠居していた「今日庵」に裏千家を創建されました。仙叟宗室は、加賀前田家の藩主、前田利常に仕官されており、裏千家の家元は、代々「宗室」を襲名しておられます。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 千利休、抛筌斎、宗易 | 天正十九年(1591)70歳 |
二代 | 千小庵、宗淳 | 慶長十九年(1614)69歳 |
三代 | 千元伯、宗旦、咄々斎 | 万治元年(1658)81歳 |
四代 | 臘月庵、仙叟宗室 | 元禄十年(1697)76歳 |
五代 | 不休斎、常叟宗室 | 宝永元年(1704)32歳 |
六代 | 六閑斎、泰叟宗室 | 享保十一年(1726)33歳 |
七代 | 最々斎、竺叟宗室 | 享保十八年(1733)25歳 |
八代 | 又玄斎、一燈宗室 | 明和八年(1771)53歳 |
九代 | 不見斎、石翁宗室 | 享和元年(1801)56歳 |
十代 | 認得斎、柏叟宗室 | 文政九年(1826)57歳 |
十一代 | 玄々斎、精中宗室 | 明治十年(1877)68歳 |
十二代 | 又妙斎、直叟宗室 | 大正六年(1917)66歳 |
十三代 | 圓能斎、鉄中宗室 | 大正十三年53歳 |
武者小路千家:官休庵(かんきゅうあん)
流祖の四代目一翁は、千元伯の次男にあたり、はじめ塗師をしていましたが、千家の道統を伝えるため茶室「官休庵」を建て、歴代の当主は、大徳寺の玉舟宗璠(ぎょくしゅうそうばん)和尚から諱を受けて「宗守」を襲名しておられます。家系の継承者は、後嗣号「宗屋」を襲名するそうです。
何代 | 号 | 没年と享年 |
---|---|---|
初代 | 千利休、抛筌斎、宗易 | 天正十九年(1591)70歳 |
二代 | 千小庵、宗淳 | 慶長十九年(1614)69歳 |
三代 | 千元伯、宗旦、咄々斎 | 万治元年(1658)81歳 |
四代 | 似休斎、一翁宗守 | 延宝四年(1676)72年 |
五代 | 文叔宗守 | 宝永五年(1708)51歳 |
六代 | 静々斎、真伯宗守 | 延享二年(1745)53歳 |
七代 | 直斎、堅叟宗守 | 天明二年(1782)58歳 |
八代 | 一啜斎、休翁宗守 | 天保九年(1838)76歳 |
九代 | 好々斎、仁翁宗守 | 天保六年(1835)41歳 |
十代 | 以心斎、全道宗守 | 明治二十四年(1891)62歳 |
十一代 | 一指斎、一叟宗守 | 明治三十一年(1898)51歳 |
十二代 | 愈好斎、聴松宗守 | 昭和二十八年(1953)65歳 |
十三代 | 有隣斎、徳翁宗守 | 平成十一年(1999)86歳 |
十四代 | 不徹斎、宗守 | 昭和二十年(1945)~ |
十五代 | 隨縁斎、宗屋 | 昭和五十年(1975)~ |
|茶道具 にもどる|
お電話で買取・査定のご相談
電話受付時間 平日 10:00~18:00
Mail : info@toenart.com