日本刀脇差し 高価買取しました。埼玉県のお客様
こんにちは。
桃園美術の鑑定士の半田です。
当店では日本刀脇差の高価買取を行っています。
ご自宅に不要な脇差がございましたらお気軽にご連絡ください。
それでは今回買取させて頂いた脇差をご紹介いたします。
今回買取させて頂いた脇差は備州 長船則光の銘入りの脇差です。
登録証の有無
脇差事体は白鞘に収められていますが、本具も付いていました。
登録証はラミレートされていない古い登録証です。
昭和26年~昭和50年代後半までの登録証は紙だけの登録票でしたが、昭和50年代後半から現在の登録票はラミネート加工がされています。
登録証制度ができたのは第二次世界大戦後、日本の敗戦と占領軍による武装解除を背景としています。
戦後数多くの日本刀が占領軍により遺棄、処分の憂き目に遭いましたが、日本刀の芸術性を認めさせ、美術刀剣としての保存、登録制による所持が可能になりました。
現在でも年間1万本以上の刀剣類の発見届が出され登録証が発行されているそうです。
脇差とは
脇差とは長さ2尺未満で1尺以上の刀剣を指します。
室町時代以降に製作され江戸時代まで多く作られてきました。
刀や太刀と比較すると現存数が多い刀剣で、現存するほとんどの脇差は江戸時代に製作されたものです。
江戸時代になると武士は大小の刀を差すように定められていた為、脇差の需要が増えたと言われています。
また正規な武器では無かったため、町人でも持つことが許されたので現存数は多くなっています。
今回買取させて頂いた脇差は備州 長船則光の銘入りの脇差ですが、則光も勝光と同じく、備中長船一派の代表的な刀鍛冶です。
初代則光は嘉元期(嘉元三年)に活躍したとされていて、そこから十数代に渡り室町末期まで則光の名は受け継がれていきました。
備前国の刀鍛冶は平安時代末期より日本刀作りに必要な材料に恵まれていた為、栄えていったそうです。
戦国時代は歩兵が主力で戦に刀の需要が増えた為、備前国の刀鍛冶達は組織化、分業化によって迅速に大量の刀を全国に作り出したそうです。
脇差や短刀の場合は同じクラスの刀より相場として50%~60%低くなります。
桃園美術での買取
今回の脇差は¥40,000 の買取とさせて頂きました。
刃の状態は錆びや傷も少なかったのですが、そこまでの評価が高い銘では無かった理由もあり、備州 長船則光の作品として出来る限りの買取額を提示させていただきました。
脇差に関しましては銘入り、状態に応じて高額の査定をさせていただきます。
ご連絡お待ちしております。