将軍家の依頼を受けて、試し切りをしていた山田浅右衛門
江戸期に将軍家の御試御用として浪人の立場ながら、名刀の真価を試すため罪人の屍を土檀に据えてから、胴を両断していくのである。
胴を重ねていくほど、技量と刀の真価が問われていくのですが、二つ遺体を重ねて見事に両断できると、二ツ胴と呼ばれています。
その刀の真価が試されると、茎の箇所に金象嵌で截断銘が入れられて、実用性のある名刀となります。
「何々胴落」、「何々胴切落」、「何々胴截断」と茎に入っている刀は、すでに遺体を切り落としているものになりますが、截断銘入りのものは、刀剣のなかでも名刀に属するものになりますので、評価はたかくなります。
公儀御様御用と呼ばれる生業についていた浪人は、試し切りをすることで、刀剣の鑑定士として、数々の名刀を評価していきました。
そのなかでも山田浅右衛門は、据物斬りの達人であったことから、刀剣の鑑定をしながら、罪人の斬首も請け負っていました。
そして、罪人の遺体から不要となった内臓は、山田家に伝わる製法で、諸病に効く「人丹丸」をつくり、珍重されたそうです。